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今季トーナメント、出足は好調!

2011|07|01
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第2回Ponam Cup 今年は串本で開催

6月中旬、『BIGGAME』24号の入稿に追われていた頃は、昨年に比べてえらくパッとしないカジキ情報に、先の震災後、なにやらこちらも自粛ムードかと、ちょいとブルーな気分であった。ところが、今号もなんとか無事納本まで辿り着き、発送作業に追われていた頃、今季の先陣を切った沖縄の『サムズ・カップ』の大盛況を耳にした。40チーム、2日間で41本のキャッチ。4本キャッチというのも3チームあった。
その後、6月24〜25日に我が故郷、串本で開催されたトヨタの『ポーナム・カップ』も12艇で6本という釣果で、今季、トーナメントの出足は好調である。
今日から7月。さて今季は、どんなショットが撮れることやら…。

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サムズカップのポスター、いいねぇ!

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優勝:《ハートランド》

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2位:《甲賀丸》

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3位:《アイランドブルー》



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震災以来、はや3ヶ月…

2011|06|06
先の大震災以来、今週末で3ヶ月目の11日を迎えることになる。
四半世紀ほど前のチェルノブイリ原発事故(1986年)を待つまでもなく、欧米では70年代に原子力について国会や知識人が真剣に議論していた記憶がある。翻って、国内では脱原発の論客で原子力資料情報室代表だった故高木仁三郎さんたちの声や世論を政治が真摯に受け止めることもなく、過疎地にばら撒かれる補助金と用地の買い上げ、雇用の機会という巧妙な原子力政策の下、経済的な恩恵ばかりが強調されてきた中で“確固とした安全性の追求”や脱物質主義への価値観の転換などに議論が及ぶことは少なかったように思える。
この間、国内のテレビではチェルノブイリ原発事故以降の1988年に“朝まで生テレビ”で2度ほど原発特集を企画し、反対、推進派双方の討論会をやったことがある。フクシマ原発事故直後に、それを『YouTube』で懐かしく観たが、今もマスコミに顔を出す面々が口角泡を飛ばして噛み合わない議論を延々と続けていた。20数年前の番組という古さをまったく感じない内容であったことが、まさに悲喜劇であり、この間の不作為を如実に示すものであった(ちなみにYouTubeのこの映像は、著作権侵害の申し立てにより現在は削除されている)。
尤も国内では1986年頃から1990年代初頭にかけてはバブル景気の真っ只中で、私を含め、多くの人間が脱原発の声に真摯に耳を傾けていたかは、甚だ疑わしい。
この3ヶ月近く、なにやら頭には重っ苦しいノイズが立ち込めて、それを振り払うために読書三昧の日々を過ごした。その数37冊は、脳天気な学生時代のそれに匹敵する。
またこの間、何気に覗いた地方の古書店で、予期せぬ雑誌に遭遇し、20年前の自分と何やら運命的な再会を果たしたこともあった。
大震災と、フクシマ原発事故以降の3ヶ月は、私にとって沈思黙考の日々であった。
お蔭で次号の制作に慌しいこの週となりそうである。

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某古書店にて50円で購入した1991年発行の釣り雑誌。
表紙は16Lbラインで44sのキハダを記録した際の懐かしい写真である。左手には当時愛用していたロレックス・シードゥエラーが光るが、バブル崩壊後のドタバタの中で質屋に消えてしまった。
この20年の歳月は、私の生活を決して豊かにするものではなかったことに改めて愕然とするが、当時からの志がぶれていない事が、せめてもの救いではある。

posted by biggame at 18:22 | 日記

PRAY FOR JAPAN!

2011|03|24
未だ全容がわからない。
未だ連絡も取れない友がいる。
Pray for Japan!

posted by biggame at 22:33 | 日記

SAVE JAPAN!

2011|03|15
未曾有の東北関東大震災

SAVE JAPAN!
ビルフィッシャー、ビルフィッシャー!ビルフィッシャー!!
この未曽有の大震災に一致団結しよう!

日本赤十字社は14日、東北関東大震災の災害義援金の募集を開始した。
義援金は郵便局・ゆうちょ銀行で受け付け。
口座名義は「日本赤十字社 東北関東大震災義援金」
口座番号は「00140−8−507」
9月30日まで。

今は人道支援が大優先!
復興支援は一息ついてから。
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津波の後の『いわきサンマリーナ』

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ヤードの惨状

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昨年の福島ビルフィッシュトーナメント(サンシャインカップ)の頃
posted by biggame at 13:42 | 日記

リリースループ

2011|03|10
まだまだシーズンには遠い。
知り合いは、マカジキ狙いで毎週末フネを出しているが0-0-0が続いている。
ま、そんな時は、本番に備えてリリースループの作り方でもマスターしておけばよろしいのでは?
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posted by biggame at 22:58 | 日記

幾つまで海に出られるか…?

2011|02|28
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人も、歳をとる。
別にそれは、忌み嫌うことでも恐れることでもないが、あの海で、コクピットを自在に動きまわれた体が、やはりちょいと去年とは違うぞ…と感じることに、一抹の寂しさを感じる。
それは円熟ではなく、単なる肉体の衰えであるだけに、あとは能天気な性格が、どこまでそれを曖昧にできるかにかかっている。
ヘミングウェイは、それが我慢できずに自死を選択したわけだが、誰がそれを非難できようか?
そんな事を思うと、先の海難事故でお亡くなりになられた船長さんは、決してその死を後悔していないと思う…。
誤解を恐れずに言えば、それは海の男の理想であるかもしれない。
posted by biggame at 22:46 | 日記

海に生きて、海に死ぬ

2011|02|23
昨日、朝のNHKニュースで、我が串本の海難事故を知った。

沈没 渡船が高波受け岸壁衝突 船長死亡6人無事 和歌山

22日午前6時40分ごろ、和歌山県串本町和深の安指(あざし)漁港沖合約1.5キロの小島「スズ島」の岸壁付近で、同町の「瀬戸渡船」所属の「せと丸」(5トン)が高波で岸壁に打ち付けられて沈没し、7人が海に投げ出された。水中から引き揚げられた同渡船経営者で船長の瀬戸定之丞(さだのじょう)さん(86)=同町和深=が死亡した。3人は近くの漁船に救助され、3人は自力で陸に上がったが、軽傷。
(毎日新聞 2月22日(火)より)原文ママ

瀬戸船長の冥福を心からお祈り致します。

お亡くなりになった瀬戸船長は、3年前の新聞では下記のように紹介されていた。

久しぶりに興奮、128キロのカジキ釣る 串本町和深沖

 串本町和深、渡船業、瀬戸定之丞さん(84)は4日、和深沖で重さ128キロ、長い上あごを含めた全長3メートルのシロカワカジキを釣り上げた。
 同日午前6時半ごろ、知人と一緒に漁船「せと丸」に乗り込み、カツオ狙いで出港。釣果が悪いことから、5キロ沖まで移動し、カジキ狙いでイカの疑似餌を使ったトローリングを開始した。
 午前9時ごろに掛かり、2人がかりで約1時間かけて糸を巻き取った。船上に引き上げることができず、船体にくくりつけて帰港した。
和歌山東漁協串本支所で1万5000円で競り落とされた。
 瀬戸さんは20代からカジキ釣りをしている。これまで釣ったカジキの最大は6年ほど前の190キロ。カジキ狙いの釣りは3年ぶりで「久しぶりに興奮した。引き上げるのに疲れた」と話した。

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釣り上げられた重さ128キロのカジキ(4日、和歌山県串本町で)
(AGARA 紀伊民報 2008年06月05日より)原文ママ

かつて同じ海域でカジキを追った瀬戸船長の3年ほど前の笑顔が、変幻する海の厳しさを思わせる。
84歳でカジキを釣られ、86歳の現役で海に逝かれた瀬戸船長。

合掌、再び。
posted by biggame at 01:55 | 日記

衝動の先にあるもの…

2011|02|22
世の中には“いい女”を見かけると衝動的に声をかける才に恵まれた男がいる。その素早さ、絶妙なタイミングは、なかなか真似のできるものではない。しかし多くは“テヘッ”と自虐的な笑いで終わることが多いものの、時には場末の飲み屋で、そいつがハッとするようないい女と一緒の席に出くわすこともある。瞬間、嫉妬の炎がメラメラと立ち上る訳であるが、“下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”なんて言葉で、燃え上がる炎を消そうとする自分が情けない。こまめさこそが、人生における勝利の秘訣であることを、真摯に受け止めねばならないのだ。
さて、カジキ君の場合は、目の前に現れた“いい女”に、生存権を懸けて衝動的に突進するも、予期せぬ展開にパニックに陥ることがある。このシーンは決して派手な女(ルアー)と戯れているわけでもなく、必死に性悪女から逃れようとしている局面である。耳を凝らせばビルフィッシャーの歓喜の声も聞こえてきそうだが、ホンマ、我々は罪な輩である。

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オッ!いい女!!と思ったものの…

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なんじゃ、これ!

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おいおい、いい加減にしてくれよ!

posted by biggame at 11:39 | 日記

鳥はいつも見ている

2011|02|20
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お天道様はいつも頭の上にある。
普段はなかなかそれを意識しない。溜息をつきながら歩く時は、いつも首はうなだれている。
あれやこれやの悩み多い日々は、なかなか首が上がらない。ちょいと首を上げれば、気持ちのいい空や光に満ちているのに、普段はなかなかその首を上げることが出来ないでいる。
洋上でカジキを探しながら、フイと視線を外すと、予期せぬ彼方に、カジキをじっと見つめている鳥の姿を見つけることがある。
獲物は常に視界の下にあり、目を凝らしてもなかなか見つけられない時、彼らを空を見上げるのだろうか?
posted by biggame at 18:53 | 日記

そろそろ『BIGGAME』次号制作…

2011|01|30
大寒も過ぎ、寒さ厳しい中にも、固い意志を秘めた新芽の息ぶきを身近にすることが多くなった。
もうすぐ立春、春である。
とにもかくにも寒さには弱い体質故、この一カ月は、ああだこうだと理由をつけて、なかなか『BIGGAME』次号の制作に火がつかなかった。ま、いつも火がつく時は金繰りが背景にあるのだが、“時と境に催されて多忙。むしろ狼狽の心地に彷徨する時は、悠然と座して熱燗でもやりながら心の奥底の声を聞くべし”と、印刷経費の支払いに頭を悩める心を少しばかり横に置いて、じっくりと『BIGGAME』のこの先を考えるのも正しい身の処し方であると思う。
次号表紙は、雑誌『BIGGAME』でもお馴染の田中滋さんの、先般のケアンズ釣行の際のワンショットだ。
今年度のトップを飾るナイスショットに刺激されて、寒さに凍えていた中で、ようやく今年も雑誌創りのエンジンに火がついた。
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次号『BIGGAME』の表紙は、これで決まり!
posted by biggame at 16:08 | 日記

紀州浪漫!

2011|01|17
師走に慌ただしく本州最南端、串本に帰ったものの、雑誌『BIGGAME』の発送やら集金やらでトンボ帰りに上京し、湯島で年越し。天神で神頼みを済ませた。
そして今、改めてのんびりと紀州の湯を楽しんでいる。
白浜、勝浦、龍神、それに開湯1800年を数える日本最古の湯の峰温泉も堪能し、明後日にはまた上京する予定だが、人生ポレポレ、今年のカジキは如何なものやら…。
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『千絵の海 総州銚子』

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やはり、北斎!

posted by biggame at 20:36 | 日記

カジキの資源量…

2011|01|08
ここ数年来、国内のビルフィッシングの盛況ぶりには目を見張るものがある。
2008年の国内トーナメントではJIBTの77本、そしてあの茨城BTの、2日間での124本。個人では《ミスリバティー》の趙さんが記録した年間64本(41T&R、23キャッチ)という記録もあり、その年は1日10本という記録も《ボボス》と《ミスリバティー》によって達成された。
そして昨年は40本を目指す戦いが《バズ》と《ミスリバティー》によって演じられ、25本を超える戦いが《トゥルーブルー》と《フォワード》によって演じられた。「なんだ、相変わらずいつものメンバーかよ!?」という声をかき消すように《レバンテ》の17本(15T&R、2キャッチ)という記録が目につき、《ブルーウォーター》や《ビーフラット》のベテラン勢を《大洋丸》の若手たちが追った(1T&R、9キャッチ)。
アングラーでは《トゥルーブルー》の寺井賀奈子さんが19T&R、2キャッチ。《フォワード》の三枝久美恵さんが18T&R、4キャッチという記録を残した。
この記録はTBF(ザ・ビルフィッシュ・ファウンデーション)のTag & Release Competitionでも注目を集めるだろう。

しかしながら、スポーツアングラーたちの沿海域でのビルフィッシングの盛況ぶりとは裏腹に、北太平洋のマカジキとクロカジキの資源量は非常に悪くなっていると聞く。
マカジキは1〜2年以内に、そしてクロカジキに対しても恐らく2〜3年以内に、漁業に対して具体的な漁獲量制限が入るだろうと語る研究者もおられる。
“資源回復”という大義名分を実行するための規制には、その背景となる資源調査による検証が前提となるわけだが、国内の沿海域におけるカジキの資源評価は未だ、決め手となるものがない。しかしながら、カジキに対する資源回復のための規制によって漁業者に具体的な影響が及ぶ事態になると、スポーツアングリングにおけるビルフィッシングの立ち位置も微妙なものとなるだろう。例の“漁業調整規則”もある日本では、カジキの資源保護という文脈を意図的に読み違える方々もいるかもしれない。
一見、好調にみえる沿海区域のビルフィッシングも、大洋を回遊するカジキに対しての局地的な評価だけでは資源量を俯瞰する上ではあまり意味をなさないが、今こそ矜持あるスポーツアングラーの立ち位置を明確にしていかなければならないと思う。調査を精査し、そこから聞こえてくるカジキの声に真摯に耳を傾けねばならない。
また、例の“カジキマグロ”等の誤った認識が、無意識のうちにスポーツアングリングに於けるビルフィッシングの立ち位置を曖昧にしてしまうことにも思いを致すべきである。
まずは身近な所から人々に正確な情報を発すること。
そのために私は、場末の飲み屋を渡り歩くのである。

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《マハロ》の活躍も目立った昨年の海


posted by biggame at 12:39 | 日記

疑心暗鬼の時代…

2011|01|06
新年早々、相も変わらず小沢だ菅だと、まっこと鬱陶しい。
なにやら今、日本は疑心暗鬼の空気に満ち満ちている…。
小沢がどうだ、菅がどうだと、そこには“矜持”がまるで無い。全く無い。
たまには北斎の潔さを見ながら、雄々しく生きるということの意味を考えたいものである。

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冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏
posted by biggame at 22:36 | 日記

ビッグダディー、子供が12人!!

2011|01|02
謹賀新年!
本年も『BIGGAME』を宜しくお願い申し上げます。

元日の湯島天神はエライ人出で、界隈は長蛇の列をなす初詣、合格祈願の方々で身動きもとれず、道路規制で男坂、女坂は通行不可!
しかしながら当方、参拝者ではなく、ここは在住者の生活通路でもあるということで、警備のおまわりさんも渋々納得、先導して頂いて男坂を上って事務所に辿りついた。
しかしながら、少子化とは言え、あれだけの合格祈願を全てかなえることは、道真様とて頭の痛いことであろう。
元日は飲んだくれたものの、正月2日目は気分も新たに、本年初日のスポーツジムでガッチリ汗を流すつもりでいたが、寝起きと酔い覚ましのコーヒーを淹れながら何気にテレビをつけたところ“14人大家族・新春9時間スペシャル、痛快!ビッグダディー4男4女、三つ子娘&2歳末娘”などという前口上の長いドキュメント風の作りで、また安易な作りの『テレビ東京』モノかと思えば、これが『テレビ朝日』であったため、チャンネルを変えずにいたところ、これが面白い!
岩手から奄美大島に移住したものの、清々しいまでの貧乏暮らしで、夫婦の葛藤と子供たちの成長振りが泣かせるのである。カミさんのやつれぶりもほほ笑ましく思えるのは、子供たちとの双方一途な愛があるからであろうか…。
しかしながら、この番組、かなり以前からこの夫婦を追っているようだが、これだけの長時間番組ともなると、それなりの番組協力費も出るかと思えるのだが、そんなことは微塵も思わせない清貧ぶりが、かえって当方のゲスな勘繰りに思わず赤面してしまうような出来栄えであった。9時間という長尺を、何ら退屈することなく観てしまった視聴者は多かったと思われる。

人生、金はなくとも、単純明快にグイグイと突き進んでいくのが一番である。
躊躇すれば言い訳をする、それが世の常であるが、愚痴を言わずに、まず体を動かしていく親父の姿に心地良さを覚えたものである。
雑誌『BIGGAME』も、広告がどうだ、経費がどうだと、ああだこうだと無い知恵を絞るよりは、とにもかくにも理想の誌面創りだけを考えて、なんとかその日暮らしで生きて行ければ道が開けるのかもしれない。
“悩まない”という能天気さも、ひとつの才能であるかもしれない…。

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posted by biggame at 22:01 | 日記

除夜の鐘まであと僅か…

2010|12|31
今年、10月23日にブログのまねごとを始めたものの、その回数は少ない。
あれやこれやに呆けて、気付けば随分とご無沙汰ということが多い。
そんなあと、久方ぶりで…というタイミングが難しいのである。
妙な照れもあれば、無ければ無いでそのまま数年が過ぎてしまいそうな気もする…。
そんな時、えいやっ!とやってしまえばあとが続くのである。
ブログもそれに似ていることを知った今、明日からの新年も“ポレポレ”で急がず慌てず…である。

皆様のよいお年を!

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今季の素晴らしいファイト。来年もまた
posted by biggame at 18:25 | 日記

水色の神秘

2010|12|16
「おっ!カジキが好みそうな水色!」なんて、私たちはしたり顔で話すが、実際、カジキの好む水色ってあるのだろうか?
海色は、光や潮温やプランクトン、それに流入河川等の影響で著しく異なるが、カジキはそこに何を求めてやってくるのか?
快適な色空間を求めてカジキは旅するわけでなく、やはり喰い気が一番の要素であろう。
しかし、その快適な色空間にこそ、カジキの好むベイトが多くいるとも考えられるわけであるが…。
写真は本誌でお馴染の《シーピックス》のカメラマンの手になるものだが、水色に変化を加えるだけで雰囲気が大きく変わってくる。
さて、実際、このバショウカジキが泳いでいた水色はどれでしょうか?
正解の水色にこそ、ベイトが多くいたと考えられないこともないが…。

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posted by biggame at 01:19 | 日記

女性ジュニア・アングラーは大活躍!

2010|12|07
原崎未紗都さん、15歳。
彼女が御蔵島沖で釣った78.5sのキハダが、JGFAジュニア記録と80LbラインのJGFA女性日本記録を更新した。
おめでとう!
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posted by biggame at 23:47 | 日記

本州最南端、串本はカボやキーウェストよりも魅力的!

2010|12|01
最近、介護帰省でサザン・オフィス(何のことはない、私の実家であるが…)に帰るたびに、我が故郷、串本も満更やないで!と思うことが多くなった。何より都会にはない文化がある。駅前にはペリーの来日よりも以前に串本に立ち寄ったという《レディ・ワシントン号》のささやかなモニュメントもあり、向かいの大島には『日米修好記念館』などという箱モノもある。老後はここの管理人にでもなれないかと思う今日この頃ではあるが…。
《レディ・ワシントン号》については、日本の教科書等では日本とアメリカ合衆国の交流の最初は、1853年のペリー提督が浦賀に黒船4隻で来航した時とされているが、アメリカ合衆国においてはアメリカ人として日本に最初に渡航して貿易を申し込んだのは1791年のジョン・ケンドリックなる人物で、串本町の紀伊大島に寄港した時となっているらしい。彼が乗った商船レディ・ワシントン号の船名とともに米国の多くの歴史書にその名は刻まれているらしい。アメリカ合衆国ではこれを重要な史実として記録しているようだが、日本人でそんなことを知っている方は殆どいないだろう。
目と鼻の先でカジキやクジラが泳ぐ串本の海では、1890年9月16日の夜半に、大島の樫野崎沖合で遭難したトルコ海軍エルトゥールル号の遭難史も有名であるが、アラフラ海までダイバーとして真珠貝を採りに行った同級生もいたことなど思い出し、いやはや海との関わりが深い町であることに新たな感慨に浸ることもある…。
キーウェストの沖合を流れるガルフストリームよりも遥かに強大な黒潮が串本の沖を流れ、カボ・サンルーカスの奇岩よりもセクシーな橋杭岩が串本にはある。無いのはTバックの似合うキュートな女の子だけかもしれないが、それも実は、私が知らないだけであるかもしれない事を秘かに願っている。
http://www.big-game.jp/big_blue/b3/b3_1/index_1.html

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串本大橋をくぐって帰港するフネ




posted by biggame at 01:58 | 日記

与那国のカジキジャーキーで一杯!

2010|11|22
与那国漁協の中島組合長と『太郎丸』の玉城船長から頂いた“カジキジャーキー”
写真右の方はまだデビューして日が浅いが、コンソメ風味で、酒の肴には打ってつけである。
また、与那国ではカジキだけでなく、今夏より“かつおだし”の生産も始まっている。
これまで与那国の漁師さん達は、キロ当たり約150円程度でしか取引されないカツオを、島内消費分(年間1トン程度)以上に獲ることはなかった。与那国から500qも離れた那覇までカツオを送るにも、その流通コストがキロ当たり150〜200円程かかるからであった。
そこで“国内最西端のブランド”を加工製品化することで流通コストのハンディを克服しようとしているのである。
オリオンビールとカジキジャーキーで一杯やりながら、日本最西端の島に今一度想いを致そうではないか…!

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●どんどん注文しましょうね!与那国町漁業協同組合:0980-87-2803


posted by biggame at 12:28 | 日記

遠路遥々、与那国の漁師さんを求めて…

2010|11|21
与那国島の将来を考えるおふたりが、湯島界隈まで足を運んでくれた。
今回の上京目的は、「与那国で漁師になりたい!」という志ある方々を募りに来たのだ。
思えば日本の漁業者人口は1949(昭和24)年の109万人から2009年には21.2万人にまで劇的な減少を辿っている。今や、「おらが漁村に来てちょうだい!」という各地からの募集はウェブ上にも溢れている。今は与那国漁協組合長の中島勝治さんも、ご自身は大阪出身であるが、『太郎丸』の玉城正太郎船長と共に、東京までリクルート活動にやって来られたのだ。
聞くと、住む処は用意してくれる、船も用意します、おまけに毎月それなりのお手当も頂けるそうではないか!? 
羨ましい限りである…。
私なんぞは『BIGGAME』なる放蕩雑誌を出すために、女房からは追い出され、娘からは着信拒否の憂き目にあっている。じっと手を見る日々の連続である…。
しかして与那国では、ちょいとばかり海が好きで「漁師もいいかなぁ〜」と、荒れる海の事も知らない方々に至れり尽くせりなのである。
そんな甘言につられて島を訪れる連中に、与那国の将来が任せられるのだろうか?
やる気のある若者、その“志”をサポートする支援であってほしいと願うばかりである…。

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湯島界隈の『天庄』で、与那国には無い食材で天婦羅を味わい、与那国漁師の将来を考えるお二人。

誘惑の多い御徒町までの帰路、まっすぐ新橋の宿まで帰れましたかぁ〜?

posted by biggame at 21:51 | 日記