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私たちのカジキ釣りは継承されるものなのか? ある時代の泡沫のスポーツで終わるものなのか? それは、それに関わる人々の夢の在りように求められるのかもしれない。
気がつけば、もう2月である。昨年は、あれやこれやが立て続けに起こったが、暮れにはとどめをさすようにお袋が大腿骨骨折! 年末に無事に手術を終えたものの、目下は朦朧とリハビリの日々である…。
この間、私はといえば、すっかり介護のプロになってしまったが、1月に大臀筋から大腿二頭筋にかけて電気が走ったような猛烈な痛みと痺れに襲われ、屈んで靴紐を結ぶことすら困難になってしまった。「えらいこっちゃ!介護人が要介護になってしまったら洒落にもならんで。ミイラ取りがミイラになるようなもんや…」とニヒルで自虐的な笑いを浮かべてみたものの、痛みでその顔も歪む始末…。
椎間板ヘルニアか坐骨神経痛? いやいや単なる肉離れやろ…と、何とか気を静めながら、お袋の手術をして頂いたM先生のもとに駆け込んだものの、整形外科の待合室に貼られたポスターには「その痛み、もしかすると癌かも…」などとあるではないか!?
シュールな現実に、少しばかり心臓の鼓動も高鳴ったような気がしたが、レントゲンで見た脊椎は若さに溢れた綺麗な並びであったものの、後日のMRIの結果が気にかかった…。
結果、MRIでも異常は確認されなかったが、原因が特定できないのもまた不安ではある。いつ破裂するやもしれぬ不発弾やらを抱えて行軍を続けるようなものであろうか…。
人は生きて死ぬ。それは単純明快な浮世の姿だが、叔母と父のふたりを見送ってなお、残された母親の最晩年の命火の揺らめきに、冷や汗をかいたり安堵したりの日々である。
無限にも思えた、いや考えもしなかった人生の終焉が、明確な輪郭をもって視界に立ち上がってくると、達観なくして日々の平安を得ることは難しい。
人は、自身の歩みの何かを残して死にたいと願うものだが、それは独りよがりの、たわいの無いものであることが多い。多くの犠牲を払って成し遂げたもの、その途上にあったもの、潰えた夢…。
つわもの共の、夢の跡に吹く風を感じ、感応する心。結局、その心の継承が最も価値のあるものであるかもしれない。

ビッグゲームの夢は、親から子へ、先達から若者へ