母の終の日の予感が、日々のなにげないしぐさに見え隠れする中では、明るく楽しく笑って過ごすことを心掛けながらも、荒涼とした地で石を拾い集めるような寂寞感に襲われることもある。
“目が離せない”という状況は、独りで介護をする者にとっては自身の日常に投網を掛けられたようなもので、網の目の先には広大な自由があるはずなのに、ままならぬ日々に天を仰ぐことも多い。
昨年の9月9日、浜中せつおさんのアトリエにお邪魔した折、ひとしきり私の介護の日々に耳を傾けて頂いたことが記憶に新しい。
介護の現実は、話すことで僅かばかり気持ちが軽くなることもある。
この時、浜中さんご自身も、悪性リンパ腫で闘病生活を余儀なくされていた奥様(神奈川新聞で20年以上にわたって演劇時評を執筆されていた演劇ライターの山田ちよさん)の介護をされていたのであるが、老いさらばえた母を看る私と、まだ若く、才能溢れる奥様を看る浜中さんとでは、日々の時間の意味が大きく異なるように思えたものである。
昨年の11月22日、浜中さんの奥さんは、60歳という若さの只中でお亡くなりになった。
私が訪ねた翌々日の、9月11日発行の日本演劇協会会報に寄稿された『神奈川の演劇事情』が奥様の絶筆となったことを後に知った。
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私の母はこの1月に95歳となり、朦朧としながらも「あ〜、秋の夕暮。人生の哀歓、身に沁みるのう〜」というのが口癖になっている。真夏であろうが真冬であろうが、お袋にとっての季節は、秋の夕暮であるらしい。
若さの中で死を意識する日々と、老いの末期に寄り添う日々とでは、目にする季節の色合いも、随分と異なるように思える。
今、浜中さんは新たな気持ちでカンバスに向かっているだろう。
ここ数年、風待ち状態で、漂っているだけの自分に必要なのは、心に風を吹かすことかもしれない…。

昨年の9月9日、アトリエでの浜中さん。窓の外は降りしきる雨であった。

CHASE!浜中さんの世界が、今後どんな広がりを見せてくれるかと、期待は膨らむばかりだ